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僕が整体士になるまで

整体士になるまで

今回は僕が整体士になるまでのお話を当時のエピソードを交えてご紹介したいと思います。

 

僕は北海道の砂川市という町に産まれ地元の高校に通っていました。

3年生の時の進路を決める際、家が貧乏だった上に学校の勉強が大嫌いだったので頭の中は就職一択でした。

ところが1988年当時の北海道は過疎化が始まっていた事で北海道内の新卒の求人はかなり少なくガソリンスタンドの店員やトラックドライバーくらいしか無かったのです。

この事で「このまま北海道にいるのはマズい」と感じた僕は内地(本州)ならどこでも良いと思い、求人票を漁り続けていました。

その中で僕の好奇心が湧いた唯一の就職先が静岡県富士市にある「(株)竹富士医学研究所」という会社だったのです。
業務内容には「手技・リハビリー」とだけ書いてありました。
当時の僕にはどんな仕事か想像も付かなかったのですが、理系の分野が大好きだった僕にとって魅力的なフレーズがそこには並んでいました。

就職初日

紺色のスーツを着て初出社です。

ワンボックスカーに同僚のTと一緒に乗せられドキドキしながら職場に向かいます。

ところが少し様子がおかしいのです。どんどん人里離れた山の中へ車は向かっています。

乗用車がすれ違う事の出来ない程の細い道を延々と走って行くのです。

「医学研究所…山の中…あ、なるほど!空気や水のきれいなところで医療機器や製品を作ってる会社ということなのか!」と勝手な妄想を広げていると…

「おい、付いたぞ」と先輩が言ったそこにあったのは 「飛図(とびず)温泉」と書かれた看板でした。

あろう事か、そこに佇んでいるのは温泉旅館だったのです!

(いやいやいや…研究所は??)同僚のTもパニックになっています。

ともあれ、スーツに身を固めた僕らは背筋を伸ばしセレモニー会場へと歩いて行く…筈だったのですが。

「おい、上着は脱げ。これを付けろ。」と早々に渡されたのは…エプロン!

(初日は入社式が主で仕事の説明などがメインになるだろう)と思っていたのですが、エプロンを付けた僕たちが連れて来られたのは宴会場の広間でした。

「おい。座布団並べろ。向きも揃えて真っすぐだぞ。」

何が何だか訳も分からず僕たちは宴会場の座布団を並べ始めました。

(もしかして…騙された?)

イヤな予感しかしませんが高圧的な先輩を前に、言葉を発する事など到底できません。

次々に命じられる雑務を終えて、ようやく事務所に呼び出された僕らは、(あ、これから入社式なんだな。)と安堵したのもつかの間、社長の簡単な挨拶、僕たちの自己紹介などを3分で済ませると今度は先輩がトイレに僕を連れ出します。同僚のTは別の所へ連行された模様です。

先輩と一緒にトイレに来た僕は掃除の仕方を叩き込まれます。ゴム手袋禁止、棒タワシ禁止、どんなにひどい汚れでも素手と薄っぺらな3M社製のナイロンタワシで掃除する事を教え込まれます。

本館に4か所、別館に2か所あるトイレをヘトヘトになりながら掃除を終えると昼食の時間になっていました。

食堂で先輩方と一緒にご飯を食べる時になって、やっとこの異常事態を理解する事になります。

先輩たちは全員白衣を着ていて、別館の治療室で整体と呼ばれるような仕事をしている。そして僕らは根性試しがてら、雑用三昧をさせられているのだと知らされたのです。

(株)竹富士医学研究所というのは、この温泉の本社で、そこでは血液検査で使用する検査試薬を製造販売しているとの事でした。

…と考えると本社採用の筈なのに、、、と疑問は浮かびましたが、もう乗りかかった舟だと腹を括ります。

初めての白衣

整体の授業が始まったのは温泉の雑用を1年間味わってからでした。

昼間は奴隷のようにコキ使われ、授業が始まるのは19:00からの2時間です。

僕も同僚のTも疲れ果てて居眠りを堪えるのに必死で、まるで頭に入って来ませんでしたがそんな事を続けて2年間の座学を終えた僕らはようやく白衣を着る事を許され、治療室に「時々」入る事も出来るようになりました。

「時々」というのは僕たちの後に後輩が入って来なかったので、引き続き雑用をこなしながら手が空いたときだけ見学しても良いといったものだったのです。

治療室には十分の人員が確保できたという事で僕らは最後の新人だったという訳です。色々思う所はありますが、ここまで来たらヤルしかありません。

先輩達の仕事は信じられない程見事で、歩けない人をその場で歩けるようにさせたり、動かなかった首を動かしたりと毎日ドラマを生み出し、その度に「おぉ~!」と声を上げながら、時にはゾワゾワーっと鳥肌を立てながら興味津々で見させてもらっていました。
自分にこんな事が出来るのか?という不安はほとんど無く、早く自分も治療をしてみたい!という好奇心と先輩のように人から感謝される仕事をしたいという憧れとワクワク感でいっぱいになっていました。

患者さんを見学中に「お前、あの技術をやってみろ」等と時々施術をさせてもらいながら少しずつ人に触れる事していき、ある時からは先輩の患者さんの体型調整などを担当させてもらい、仕上げの痛みを取る施術を先輩がする。という、整体の下ごしらえのような事もさせてもらえるようになり、入社して3年目を過ぎた辺りで独り立ちを許されました。

念願の整体士デビュー

先輩に叱られながら教えを乞いながら施術していくのですが、初めのうちは自分の手技が効いてるのかどうかも分からず、時折テキストをカンニングしながらも、どうにか施術をこなしていたある日、患者さんの痛みの仕組みが「見えた」という感覚が湧きました。

その方は右の膝の痛みを訴えていて、関節の歪みと圧迫している関節の接合面、それを誘発する筋肉のアンバランス、それらが頭の中に広がり、感じるまま思うままに施術した結果、見事に痛みが消え、患者さんが大喜びしてくれたのです。

この初めての成功体験は今でもよく覚えています。

「これは楽しい!面白い!一生続けられる!」

この瞬間が始まりとなり、生涯の仕事にすると決めて今日に至ります。

 

温泉のトイレ掃除から37年も経ちました。

今も変わらず患者さんに喜んでもらいたい一心で施術させて頂いております。

今後とも手技のかみだいらを宜しくお願い致します。

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